旧柳下邸 外観

洋館と和館が一体となった近代和風住宅

旧柳下邸(きゅう やぎした てい)の建物は明治~大正期の有力商人であった柳下氏により大正中頃に建設されました。大正12(1923)年の関東大震災では一部倒壊したものの、大部分は損失を免れ、その後、戦争など激動の昭和史の中を、柳下家の人々により大切に守り受け継がれてきました。横浜市では平成8(1996)年に敷地を取得し建物の寄附を受けて、できる限り創建当時の姿に復元し「根岸なつかし公園 旧柳下邸」として一般公開しています。

平成14年11月には横浜市指定有形文化財として指定されました。

邸内では大正~昭和初期の暮らしの雰囲気が体験でき、また市民の文化活動の場としてご利用いただけます。

  • 旧柳下邸 西館の屋根
  • 旧柳下邸 洋館の屋根

外観の見どころ

建物は東館、西館、洋館、蔵から構成されています。洋館の屋根は規模は小さいですが、周辺の町並みからは突出した高さを持っていることから、近隣のランドマーク的存在となっています。

東館、西館の屋根は「むくり」を持たせた入母屋造りの和瓦葺きです。東館は棟の向きが直交しているため、4つの入母屋屋根の複雑な構成になっています。

洋館の屋根にはフランス瓦が葺かれていて、ドーマー窓、銅の棟飾りがついています。

天水桶に彫られた柳下家の屋号

柳下家について

柳下家は明治初頭より、横浜でも有数の「銅鉄引取商」として弁天通に「鴨井屋」の屋号で店を構え、金属の輸入業を営んでいました。平次郎、達蔵兄弟の二家があり、屋号は平次郎家が、達蔵家がとしていました。旧柳下邸の表玄関の横には、鴨井屋の屋号が彫られた鉄製の天水桶があります。